徒然薗日記

腐った苺メンヘラ系女子の徒然日記。悪いこともアドレナリン出まくり脳味噌が都合よく解釈してくれます😇😇なお、実在する団体、人物等とは一切関係ありません、フィクションです。(書き手の精神状態は除く)

うらぞの的創作自信喪失理論

やっほ〜!毎日毎日大変すぎておよげたいやき君が海に逃げ出しちゃったのも納得しちゃううらぞのちゃんだよ〜!

 

 うらぞの、最近いろーんなことを考えてるの。こう見えても意外と考える頭はあるんです。その考えの答えを作り出す脳部分がすり減ってるだけで、ぽわっと考えては答えが出ないまま消えてまた浮かんでの繰り返しなのです。

 そんな中、YouTubeにあげる動画の編集やらアニメやらギターの練習やらいろいろと表現してるんですけどね。

 自分が作ったもの、という証明は果たしてその作品に完全な物として存在しているのだろうか、とよく考えるのです。

 例えばイラストを描いてSNSに@をつけて投稿する。そのイラストが気に入った人はいいねを押し、拡散されていく。その時点で自分が描いたイラストは例え@書き残されていても、自分の投稿したSNSの端末といいねを押したひとの端末との二つの画面に存在することになるのです。もう同じ画像が2枚できてしまいました。

 そして自分の作品だ、と胸を張って投稿した自分のSNSにはタイムライン上に別の人物の複製されたイラストが回ってくる。

 それを画像と目にすることで脳のどこかで他人のクローンのような、分身のようなイラストが記憶され、処理され、もしも無意識のうちに翌日自分が描いたイラストがあの時の他人のクローンが分裂したようなものだったとしたら??

 となると、その翌日描いたイラストは本当に完璧に自分が描いたものだと主張できるのでしょうか??

 

 とまぁ、こんなことを考えてしまうと怖くなって不安になって、小説もイラストも漫画も音楽も映像も覗くことができなくなるのです。  

 本当はその素晴らしい先陣を切った人々の作品を純粋に鑑賞したいのに、何故か漠然と不安になってしまう。そうして私の感性は独りよがりで独占的なモノになってしまうのです。それはよいのかわるいのか、私にも分かりませんけど。

 

それに自分が作品を作り上げた時、その瞬間はとても良いものが出来たと嬉しくてお昼寝やら休憩やら見直しやらするのですが、見返していくうちに、これは誰かの二番煎じ、いや二番どころか三番、四番煎じなのでは?と思うと、さっきまでとても満足出来ていた作品を打ち壊したくなるくらいにどうしようもなくつまらなく感じてしまうのです。

 それと同時に自信が急降下し、自分と言うものが分からなくなり、でもその答えを導くための脳部分は相変わらず焼け焦げているわけなので案の定煮詰まってしまい、グラグラと沸騰したお湯を無理矢理ひっくり返すように結果インターネットの海へ放り込んでいるわけです。

 

 多分、無駄に考えなくてもいいんだろうけどね😇😇

 瞬間のときめきを殺さなければいいんだろうけど、難しいんだよね😇😇